障がいについて考える

障がいがあっても共に学び働くことができる社会へ〜新居浜市:知的障害者を新部署で2人雇用

6月議会が始まりました。
わたしは、来週の火曜日、6月8日の午後から一般質問を行います。

今回の一般質問では、障がい者の就労支援についてとりあげます。

障がいがある、なしに関わらず、だれもが意欲や能力に応じた仕事に就けるようにという目的から、障害者雇用率が定められています。
「障害者の雇用の促進等に関する法律」の一部が改正され、この障害者雇用率達成の義務がある企業が、今年の7月から「常用雇用労働者201人以上の企業」に、また5年後の平成27年からは「101人以上の企業」にまで拡大されます。

こうした一般企業の障がい者雇用をリードし、お手本となるべき自治体行政は、障害者雇用率2.1以上を守ることが義務づけられています。

もう1つ大事なことは、障がい者雇用という場合に、「障がい者」は身体障がいだけではなく、知的障がいや精神障がいも含まれるということです。
自治体で障がい者雇用を行う場合、身体障がい者だけに限っている(東郷町はそうなのです)市町村がありますが、一方で、知的障がい者を積極的に雇用しようという自治体も出てきています。

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新居浜市:知的障害者を新部署で2人雇用 
 県内初「すてっぷ」設置 /愛媛

◇「一歩前進も根本解決まだ」更なる改善望む声も
 新居浜市は1日、知的障害者の直接雇用を目的とした総務課分室「すてっぷ」を設置する。同市によると、知的障害者の雇用を主目的とした部署設置は県内市町では初めてで、横浜市などで実施されているが、全国的にも珍しいという。佐々木龍市長が定例会見で発表した。

 「すてっぷ」は市内の知的障害者の男女2人を非常勤職員として雇用し、庁舎3階に作業室を設ける。常勤の総務課職員1人が作業の指導に当たり、資料のコピーや市が発行する印刷物の封入、不要書類の裁断などの作業をするという。雇用期間は1年間だが、5回の雇用更新が可能で、最長6年間になる。

 同市は10人の身体障害者を雇用しているが、知的障害者は07、08年度に1人だけにとどまっていた。

 同市は、専用部署の設置を、健常者の中に入っていくことがないため障害者にとってプレッシャーが少なく、市が率先して雇用することで地域の障害者雇用への理解が深まる、などの効果がある、としている。当面は採用は2人だが、仕事量に応じて人数を増やすことも検討している。

 1日に開所式を行い、佐々木市長が2人に辞令を交付する。

 「すてっぷ」設置について、知的障害のある長男を持つ60代の女性は「喜ばしいことで一歩前進」としながらも「他の職員と別の部屋で仕事をさせるよりも、積極的にかかわる仕事をさせてほしい。また、非常勤では根本的な雇用問題の解決にはならず、今後の改善に期待したい」と話している。

(毎日新聞 2010年6月1日 地方版)
http://mainichi.jp/area/ehime/news/20100601ddlk38010634000c.html
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知的障がい者の雇用は、横浜市が先進的に取り組んでいましたが、人口が約368万人という巨大都市ゆえ、先進事例として紹介しても、「東郷町とは規模が違いすぎますから」と言われてしまい、なかなか考えてもらえませんでした。

ですが、愛媛県の新居浜市は、人口12万5千人のまち。
東郷町の3倍ぐらいの人口規模ですが、このぐらいの規模のまちが、知的障がい者を2人、非常勤職員として雇用したという記事は、心強い報道です。

新居浜市のホームページでも、この件に関しての記事が掲載されていました。
以下に転載します。

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障害者雇用 総務課分室「すてっぷ」がオープン

 新居浜市は、障害のある人もない人も互いに支え合い、地域で安心して生き生きと暮らせる社会の実現を目指し、障害者の自立と社会参加の促進を図ってきました。
 この度、これまでの福祉的就労から一歩進んだ、ワークシェアリング的な就労を目指して、6月1日から知的障害者2名を非常勤職員として雇用し、総務課分室「すてっぷ」をオープンしました。このことにより、新居浜市に生まれた人が、ふるさとで共に学び、働くことができる社会の構築を目指します。

http://www.city.niihama.lg.jp/soshiki/detail.php?lif_id=15031

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東郷町では、2.1の雇用率を守るために、今年度も障がい者の雇用を行う予定です。
昨年までは「身体障がいのみ」と制限を加えていましたが、今年度の募集要項では、知的障がいや精神障がいの方でも応募できるようにしてほしいと思っています。

議会の場で、どこまで前向きな答弁が引き出せるかわかりませんが、頑張りたいと思います。


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障害者自立支援法早わかりガイド

別名、予算議会と呼ばれる3月議会が始まりました。
平成22年度の予算について、審議・採決する議会です。

東郷町議会では、議案(平成22年度予算書も議案の中に入っています)について議会で質疑するためには、事前に議案質疑通告書を提出することになっています。
明日が議案質疑通告書の提出期限のため、ここのところずっと、予算書と格闘中。

今回は、障害者自立支援法にかかわる予算について、質疑しようと準備している所なのですが、本を読んでもなかなかわかりにくいのが障害者自立支援法の中身。
初心者でもわかりやすい資料はないかと探していたところ、WAM NETで「障害者自立支援法早わかりガイド」を見つけました。
コンパクトに要点だけまとめてあるので、初心者向きだと思います。
興味のある方は、ぜひご覧下さい。
      ↓
 WAM NET「障害者自立支援法早わかりガイド」

民主党が政権をとって、障害者自立支援法は廃止される見込みですが、それに代わる新たな制度ができるまでは、障害者自立支援法によるサービスで障がい者の生活を支えなくてはなりません。
少しでもより良い支えとなるよう、しっかり問題提起をして議論していきたいと思っています。

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死の尊厳より、まず生きるための支援を

終末期医療についての議論の中では、いつも「尊厳死」についての考えが出てきます。
でも………。
尊厳ある死を迎えるためには、尊厳ある生を送ることが問われるはず。

いま、この国で、病気などで重い障がいをおった場合、尊厳ある生は保障されているのでしょうか。
「尊厳ある」どころか、生きる支援すら得られない現実があるのではないでしょうか。

そんなことを考えさせられる新聞記事を、以下に転載します。

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あの人に迫る
 橋本 操 (日本ALS協会副会長)

死の尊厳よりも まず生きること
人工呼吸器を着けた車いすで、霞ヶ関からデンマークまで…。
全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)のイメージを打ち破る行動力で、日本ALS協会副会長の橋本操さん(56)は患者や家族を励まし、政治家や官僚と渡り合ってきた。
最重度の難病と言われるALSでも生きやすい社会を実現するために。

症状が現れたのはいつですか。
32歳のころ、最初、右手にまひを感じ腱鞘炎(けんしょうえん)と思った。
次第に肩や足が動かなくなり、発声や飲み込みが困難に。
7年後、呼吸器障害に至ったので、気管を切開し人工呼吸器を付けました。

会話はヘルパーに五十音を読み上げてもらい、拾いたい文字のところでまばたきして、文章を作ります。
食事は野菜ジュースや液体状の栄養補助食品などを鼻から管で取ります。
無表情と思うかもしれませんが、顔の筋肉があまり動かないだけ。
飢餓にほほ笑みかけてくださいね。

告知をどう受けとめられましたか。
現在の私があるのは当時の主治医、佐藤猛先生(国立精神・神経センター国府台病院名誉院長)と、日本ALS協会初代事務局長の松岡幸雄さんのおかげ。
当時、私はALSの苦しさより、一人娘の世話ができなくなることが怖かった。
それを感じ取った佐藤先生は、「いま一番の薬はお嬢ちゃんだよ」と。
私の置かれた状況をよく分かっていてくれた。
松岡さんは「大丈夫ですよ。橋本さんなら大丈夫」と呪文のように繰り返し励ましてくれました。

でも聞くと、ほかのALS患者への告知は暗いことが多い。
ゆっくりと、親切に、少しでも楽に生きられるような告知をしてほしいです。

人工呼吸器を装着して自宅で、しかも家族と離れて暮らすのは大変ではないですか。
人工呼吸器はめがねのようなもの。
集中治療室に運び込まれた救急患者と違って、生活するために必要だから使っているだけです。
発症した時、娘は5歳、夫は深夜まで働いていました。
だから家族に頼らずに他人介護で自宅で暮らせる道を探したのです。
人工呼吸器を付けるまでは実家のきょうだいに手伝ってもらいました。

既存の制度では足りない介護の人手は、学生バイトを募ることで埋めた。
さらに、一人前のヘルパーに育て上げた学生らを、自分が運営する訪問介護事業所から、ほかの患者に派遣することで収入を得る方法を考案しました。
収入があれば、自立できます。
現在は訪問介護、訪問診療、介護人派遣制度などを組み合わせ、夜勤は学生10人前後で回します。
24時間、常に介護者が私の身の回りにいます。

うまくいっているのは、私に主婦意識が欠けているからかも。
冷蔵庫や財布の中を誰にのぞかれても平気。
人の出入りを気にしない。
声が出ないから口論は不利でも介護者を介して必ず言いたいことを言っています。
車いすで近所のスーパーやデパートにも買い物に行く。
愛犬のポンを連れて。
忙しくて、大好きなSMAPや、さだまさしのコンサートになかなか行けないのが悔しいですが。

患者を精力的に訪問しておられますね。
約15年前から全国の患者を訪ねています。
患者はほかの患者と会いたいものだけど、地方では患者が移動できる社会環境が整備されていないので。
しかし、私のように気ままな患者の、なんと少ないことか。
家庭に帰れば家族が待っているのに、ひとり病室の白い壁や天井を見つめて過ごしている人は少なくありません。

ご自身のホームページの題に「闘えALS」とあるように常に闘ってこられました。
あれは「患者よ、闘え」というアジテーションなんです。

2002年、医療行為として医療職や患者の家族にしか認められていなかった、たん吸引をヘルパーも行えるよう署名運動を始めた。
たんの吸引は単純な作業だけど、多い時は数分おきに行う必要がある。
だから家族が夜も寝る間もなく、吸引していました。
全国から17万人の署名が届きました。
「家族が休めない。何とかして」といった悲鳴のようなメッセージも添えて。
すべてに目を通してから国と交渉し、ようやく2003年に認められました。

尊厳死反対の論陣も張っておられます。
死の尊厳さは重要ではない。
生きている者の人権を守ることが肝要です。
人工呼吸器を付ければ生きられるのに、付けたくても付けられない患者は多い。
ALS患者の7割以上は呼吸器を付けずに亡くなる。
特に女性。
家族から「生きるな」と暗に言われ、子や夫に迷惑をかけるまいと呼吸器を付けずに死んでいく。
自立する知識も機会も与えられずに。
「死ぬ権利」を言う前に、生きたくても生きられない患者の生きる権利をなんとかしよう、と言いたいです。
そうでなくても、呼吸器は外れやすいんです。
時々、事故で呼吸器が外れて患者が亡くなる。
その無念や苦しさを思うと…。
私もよく外れますが、2分もたたずに顔は真っ赤、心臓はばくばくです。

厳しい状況でも常に明るさとユーモアをお持ちです。
生家は漁をなりわいとしています。
昨年2月にイージス艦に沈められた漁船と同じ漁協で、兄たちはあの事件に近いことはよくあると言う。
海辺に生きていると、水死体が漂着したり、漁に出たまま帰らないこともあるから、死は日常のこと。
私も主治医と食事しながら終末期の話をします。

お寺が好きです。
樹齢千年の桜を、平成の時代に、車いすに人工呼吸器を積んだ私が眺めるロマン。
何代もの人が桜の下に集い、泣き笑い、時に病に倒れていったことに思いをはせると「この瞬間を生きよう」と思います。

最近、入院されました。活動のペースを落とした方がいいのでは。
9月に16年ぶりに入院。
すごく久しぶりというのが自慢です。
ウイルス性腸炎でしたが、飲んだコーヒーが濃すぎたんでしょ。
最近はすべて患者のため、という基準で行動している気がします。
在宅生活を送りやすくするために介護保険の自己負担の減免を求めていきたいし、在宅が難しい患者のために長期療養の病床をもっと確保したい。
課題はたくさんありますが、当事者が行動するしかない。
とりあえず死ぬまで走り続けることが私の使命です。

何より患者に泣かれるのが悲しい。
なんと言葉をかけたらいいものか。
「この瞬間はあなたのもの。必死に生きて」
そう伝えることにしていますが。
私は「今日が不幸でも、明日はたぶん幸せだぞ!」と思いこんでいます。

【あなたに伝えたい】
ALS患者の7割以上は呼吸器を付けずに亡くなる。特に女性。家族から「生きるな」と暗に言われ、子や夫に迷惑をかけるまいと呼吸器を付けずに死んでいく。

【インタビューを終えて】
「まあ飲んでよ」。橋本さんはいつも開口一番こう切り出した。インタビューは東京の自宅マンションで、4回にわたって夕飯時に行った。
大抵は、橋本さんのベッド脇の食卓で、遊びにきた友や仕事を終えた日勤の学生ヘルパーが鍋をつつき、ワイングラスを傾けていた。橋本さんもヘルパーの“通訳"を介して会話に入る。優しいほほ笑みからは想像も付かないブラックジョークを時折、飛ばしながら。
体がほとんど動かず、声が出なくても雑談を楽しむ姿は一見、感動的だが、これが橋本さんの日常なのだ。そして、すべてのALS患者が享受できるはずの光景でもある。

橋本 操(はしもと・みさお)
1953(昭和28)年千葉県生まれ。日本音楽学校幼稚園教諭養成科卒。1985年にALSを発症、93年には人工呼吸器を装着し在宅生活を始めた。99年にALS協会副会長、2003年から今年5月まで同会長。
04年、近隣の患者家族、看護師、ヘルパーらとNPO法人「ALS/MNDサポートセンターさくら会」を設立。障害者自立支援法の重度訪問介護従事者資格を取得できる研修会を開き、これまで約900人が修了。07年からNPO法人「在宅介護支援さくら会」理事長。00年、ALS/MND国際同盟会議(デンマーク)に呼吸器を付けた患者として初めて参加。06年、ALS/MND国際同盟人道賞。共編著に「生きる力ー神経難病ALS患者たちからのメッセージ」(岩波書店)
ホームページ/闘えALS

(中日新聞・夕刊 2009年11月27日)
----------------------------(引用ここまでです)-----------------------

人工呼吸器をつけなければ生きられない、ほとんど体が自分で動かせない状態で
車いすで買い物に行ったり、お花見に行ったり、
飛行機でデンマークまで飛んで、国際会議に出席して発言する。
橋本操さんの行動力は、わたしがALS患者や人工呼吸器について抱いていたイメージを打ち砕くものでした。

わたしはツイッターも行っているのですが、そこで出会った女性は、人工呼吸器をつけて、話もできるし、歌も歌うのだそうです。
なんでも、大学の時に声楽を専攻していたのだとか。
気管切開してスピーチカニューレを付けることで、話ができるようになったのですが、「話せるなら歌えるんじゃない?」と挑戦し、自分なりに歌えるようになったというメッセージをもらって、とても感動しました。

人工呼吸器を否定的にみるのではなく、医学の進歩による可能性の広がりと捉える視点を教えられたような気がしました。

その一方で、ALS患者の7割以上は、介護する家族の迷惑になりたくないと、人工呼吸器を付けずに亡くなっている現実があります。

介護保険や、障がい者自立支援法を使っての支援だけでは、家族の手をいっさい使わない「他人介護」での在宅生活はできません。
橋本操さんは、他人介護による在宅生活を可能にするために、学生ボランティアを育てて、介護者として支援してもらっています。
重度訪問介護は、24時間の在宅介護を行うためには欠かせないサービスですが、サービスが存在しない市町村も多く、しかたなく家族が一手に介護を引き受けているというのが現状です。

生きたいと望めば、だれもが人工呼吸器を付けて生きられる支援ができるようにするのが、基礎自治体の役割のはず。
生きるための支援を最優先課題にしなければと、強く思いました。

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障がいがあっても働ける場をつくりたい

若年性認知症の取材で、精神障がい者の就労支援をしている「ワーキングスペースおおぶ」に行ってきました。

ワーキングスペースおおぶは、就労継続支援(B型)の事業所。
障がいをもつ人の「働く場、訓練の場」です。

おもに精神障がいのある人が仕事をしているのですが、ここで若年性認知症の男性も4人働いています。
1階が働く作業場、2階にフリースペースとして思い思いに過ごせる地域活動支援センターが併設されています。
地域活動支援センターには喫茶スペースもあり、のんびりお茶を飲みながらおしゃべりもできます。
キーボードなどの楽器やテレビもあります。
仕事がしたいと、ここをのぞきに来た若年性認知症の方が、2階にあるキーボードを見て、いっぺんで気に入り、仕事がおわった後には、持参してきた楽譜を置いてキーボードの演奏を楽しんでいるというお話でした。
認知症になっても、楽器の演奏を楽しんでいるというのは、心強いかぎり。
わたしはバイオリンを弾くのですが、認知症になっても、できる範囲でアマチュアオーケストラに参加できたら、どんなにいいでしょう。

介護情報誌「ぬくぬく」の次号に掲載する記事を、おまけでつけておきます。

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認知症でも働きたい
就労支援の試み  〜ワーキングスペースおおぶ

若年性認知症の場合、身体機能は衰えないこともあって、「働きたい」と願う人も多い。
障がい者の就労支援を行っているワーキングスペースおおぶでは、若年性認知症の人を受け入れ、働く場を提供している。

受け入れを始めたのは平成19年から。
現在は4人の男性が通ってきている。
仕事内容はクリーニングの回収や仕分けなど。
作業時間は1日4時間。
1時間ごとに15分休憩というゆったりしたペースで働けるのが特徴だ。
給料として平均3百円の時給が支払われる。
 就労支援は介護保険にはないため、障害者自立支援を利用する。
だが、マンツーマンで支援する人手がないなど課題も多い。
「みんな親切だし、ここに来るのは楽しい」と顔をほころばす認知症の方の思いを聞くにつけても、働くための支援の必要性を痛感した。

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11月15日の朝日新聞に、豊橋で開店した障がい者カフェの記事が掲載されていました。
以下に紹介します。

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障害者カフェ
自立への一歩

 豊橋市南瓦町に10月末、精神に障害がある人らが働く喫茶店「WAC農園カフェ」が開店した。自分たちで作った無農薬野菜を使った日替わり弁当も販売している。調理や接客などそれぞれの「個性」に合わせて分担し、地域の人たちとの触れ合いの場になれるよう奮闘している。

調理・接客、野菜作りに奮闘

 開いたのは、NPO法人「福祉住環境地域センター」(加藤政実代表)。事務局が入るビルの1階の約100平方メートルにテーブルと20人分の席を用意した。NPOの職員2人と一緒に、10〜50代の精神障害者ら5人が午前9時から午後4時まで働いている。
 注文をとったり、コーヒーを作ったりするのは、おしゃべりが好きな人。レジもこなす。奥の調理場で料理や洗い物をするのは、手作業が得意な人たちだ。
 記憶障害の人は、コーヒーの作り方を教えても1週間もすれば忘れてしまうので、3〜4日に1度は練習を繰り返している。長時間にわたって集中することが難しい人は、2時間おきに休憩をとりながら、1人4時間をメドに交代で働いているという。
 洗い場で働く男性(39)は「接客は苦手だけど、ここなら働ける。やりがいもある」。
 NPOがカフェを始めたのは、障害者が様々な体験を通じてスキルを身につけ、社会で働けるようにすることが目的だ。自立に向けた訓練の場として、NPOではカフェのほかにも農作業や弁当作りなどに取り組んでいる。
 昨年2月からは市内の休耕地(約2500㎡)を利用して、約10人が週に5日間、野菜作りをしている。農家の指導を受けながら大根やキュウリなどを無農薬で育て、市内の飲食店に卸したり朝市で販売したりしている。
 今年8月には、採れたての野菜を使った弁当販売も始めた。調理は障害者が担当し、カフェのランチタイムに売っている。加藤代表は「それぞれの得意分野を生かした仕事をしている。地域の交流の場としても、気楽に使って欲しい」と話している。
 営業時間は午前9時〜午後4時。日曜休み。問い合わせはNPO(0532-52-4315)へ。

(朝日新聞/2009年11月15日 朝刊)
----------------------(引用ここまでです)-----------------

東郷町には、和合病院という500床をこえる精神科の病院があるのですが、精神障がいの方たちが働く就労継続支援B型というサービスがありません。

働いて、社会とつながりながら生きていくのは、だれもが持っている権利です。
障がいがあっても、その人らしく働くことができる場が必要だと痛切に思います。

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障害ってなんだろう?

民主党に政権が変わり、障がい者から批判が絶えなかった「障害者自立支援法」も廃止される見込みです。
このことに関して、興味深い新聞のコラムを見つけたので、以下に転記します。

-------------------------(ここから引用です)----------------------
伊勢新聞 大観小観
http://www.isenp.co.jp/taikan/taikans.htm

2009年9月26日(土)
「障害者自立支援法」が政権交代で廃止になり、代わって「障がい者総合福祉法」を制定するという。中身は受益に対して一律負担の「応益負担」から所得に応じた「応能負担」に移行する以外、特に明確でないというから、「害」の字のイメージが悪いから、とりあえずひらがなに変えておこうというぐらいのことか

▼人間を健常者(あるいは一般人)と障害者の二つに分類することの是非は、政権交代でも、問われることになりそうもない

▼「自立」とは健常者をモデルに、そうなれるように支援するという考え方だろうが、それは無理だ。健常者自身も、精神・身体的に多くの人との結びつきの中で生きている。「自立」の境界はあいまいだ。事故や病気、加齢による損傷、衰えもある。患者、障害者、高齢者で、障害を持たない人はほとんどない。知能、身体能力に基準を置くなら、さらに増えよう

▼高齢化社会に入りながら、日本の障害者数は欧米などに比べて少ないそうだ。患者と高齢者を別の分類でカウントしているからという。患者や高齢者を障害者とは別物とする施策に、本当の意味の自立支援はできない

▼WHO(世界保健機関)は、生活に立ちふさがるものすべてを障害としてとらえ、乗り越える施策を促している。身体的損傷も深刻な弱気も、障害の一形態に過ぎない

▼ 誰もが高齢者になる。誰もがまた、障害者になる。自立支援とは、高齢者や障害者がともに社会の中で生きがいをもって生活するための仕組みを作ることだ。いわゆる福祉サービスなどはその中の小さい一部門でなければならない。

--------------------------(引用ここまでです)---------------------

このコラムを読んで考えたのは、「障害ってなんだろう?」ということ。
WHO(世界保健機関)は、「障害を生活上の支障になる障壁(環境)」のこととし、障壁をとりのぞくこと(環境を変えること)で、障害は障害でなくなるという考え方をとっています。
つまり、障害は環境(社会)の問題であって、障害を抱える本人の責任ではないのです。
社会環境を変えていくことが政治の責任とされるのは、この考え方の延長にあると思います。

高齢化が進み、いまでは80歳、90歳を超える人も珍しくなくなってきました。
長寿になるということは、認知症リスクも、体が衰えるリスクも年とともに増えるということです。
年を取れば、だれもが認知症になったり、足が弱って車椅子が必要になったりします。
だれだって高齢者になる、だれだって障害者になるというのが、現実。

だからこそ
年齢や障害の有無にかかわらず、だれもが豊かに生きられる社会環境を作っていくことが、求められるのだと思います。

だれもが暮らしやすい社会を整えることで、いまは「障害者」と呼ばれる人が、「障害(生活のしづらさ)」を感じなくてすむようになる。
そんな社会を構築していきたいと願っています。

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公文書でも「障害」→「障がい」が標準に

「痴呆症」が「認知症」と改められたように、言葉や文字に含まれた差別的な印象を変えようという動きが加速している。

「障害者」の「害」という字も、差別意識を助長したり、当事者に不愉快な思いを抱かせるということで、「障碍者」や「障がい者」などに書き換える流れができていた。
こうした一般の流れが、行政の公文書にも反映される事例がでてきている。

2008/01/20付の西日本新聞朝刊で、
熊本県が21日から、「障害者」を「障がい者」に改めるという記事が出ている。

---------------------(ここから引用)---------------------------------

「障害者」を「障がい者」に 県、21日から表記改め

県は21日から公文書や資料、庁内の案内などで使っている「障害」という表記を「障がい」に改める。
「害」という字が「害悪や公害など負のイメージがある」という声に配慮した。
「障がい」表記の採用は全国の自治体に広がっており、都道府県では大分、宮崎などに次いで全国で7番目。

対象は、これまで「障害」の文字が使われ、前後の文脈から人の状態を表す場合の表記。
21日以降に作成する公文書や会議資料、職員の名刺のほか、県庁内にある「障害者支援総室」の案内表示も「障がい者支援総室」に改める。
実施は知事部局のみだが、県教委や県警本部などにも協力を要請する。

一方、「県障害者施策推進協議会条例」など条例や規則の名称は「障害者自立支援法など、国の法令との整合性が取れなくなる」(同室)として対象外とした。

「障がい」表記の採用は、潮谷義子知事が昨年11月に熊本市で開いた大学生らとの意見交換会で「文字から差別感をなくすため、県庁でもすぐに取り組む」と宣言していた。

-------------------------------(引用ここまで)----------------------------

また、岐阜でも同様の動き。
2008年2月20日の朝日新聞によると

-------------------------------(引用ここから)-----------------------------

障害者」→「障がい者」に

岐阜市は、これまで「障害者」としていた公文書などの表記を、4月からかな交じりの「障がい者」に変更する。
「害」の字に否定的なイメージがあるためといい、担当部署「障害福祉室」も「障がい福祉室」に名称変更する。
県も同様に4月から、公文書などの表記を変更する。

市の市民福祉部が19日、「障害者の人権をより尊重する観点からひらがな表記とする」と発表した。市は、表記は本質的なことではないという議論があることは認めた上で、「差別感や不快感を持つ人が少しでもいる限り、気持ちを尊重したい」としている。

また、県障害福祉課は、組織名は変更せず、通知や案内状、新たにつくるリーフレットなど身近な文書をひらがな表記とする。
「表記変更で障害のある人の生活が一挙に良くなるわけではないが、変更をきっかけに職員や県民の意識変革が進んでほしい」(同課担当者)としている。
表記変更は、04年9月の福島県を手始めに三重県など7道県で実施されており、県内では、美濃加茂市、本巣市など12市町が変更している。

-------------------------------(引用ここまで)----------------------------

たかが名称という考え方もあるが、言葉の持つイメージの力は大きい。
「障害者は世の中のお荷物・迷惑だ」という意識が「害」の字に反映されているように思えるからだ。
障がい者は、世の中に「害」となる存在ではない。
「害」という字を変えることから、障がい者への社会の偏見を払拭する一歩とするのなら、意味はあると思う。

2006年12月に、国連で「障害者権利条約」が採択されたが、そこには、「障害は環境によって作られる」と明記されている。

さまざまなハンディから暮らす上での不自由をよぎなくされるのは、障がい者本人の責任ではない。
不自由さを人に押しつける社会(環境)が、障がいを生み出しているのだ。
そう、だれもが気づくことが、障がい者への差別意識を変えていく力になるのではと思う。

障がいがある人もない人も、共に暮らしやすいまちへ!
そのための、小さな一歩として、東郷町でも「障害者」→「障がい者」へ表記を変えていきたい。

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いま障害者自立支援法を問う

多くの障がいがある人たちの反対を押し切り、2005年10月に成立した「障害者自立支援法」。
先週金曜日に行われた
「現在(いま)、障害者自立支援法を問う」
と題したシンポジウムと講演会に行ってきました。

高齢者介護についてはそれなりに知っているものの、障害者自立支援法について、正確な知識があるとはいえない状態だったため、勉強のためにと思って参加したのですが、いろいろと考えさせられる内容でした。

主催は「これでいいのか?!障害者(児)福祉〜愛知集会」。
会場の旧・市民会館(金山)中ホールに、約1000人が集まり、「命を守る施策を実現してほしい」という熱気につつまれていました。

午前中にあった第1部のシンポジウムでは、愛知県と名古屋市の担当職員や、障がい当事者と家族、支援する事業所から、それぞれ報告がありました。

中でも、一番強く印象に残ったのが、
実行委員長でもある、市江 由紀子さんの話でした。
市江さんは、寝たまま乗れる電動車椅子で登場。
重い身体障がいがあり、人の手をかりないと命をつなぐことができませんが、20歳の時に自立生活を送りたいと家を出て、ヘルパーの助けを借りながら暮らしている方です。

「自立生活」と書きましたが、障がいのある人たちにとって、「自立」という言葉は、ふだん私たちが使っている意味とは少し違っているかもしれません。
国語辞典では「自立」を、「他の助けや支配なしに自分一人の力で物事を行うこと。ひとりだち」としています。
でも、それでは、他の人の助けや力を借りなければ、暮らしていくことができない障がいのある人たちは、永遠に自立できなくなってしまいます。

市江さんは、こう話します。
「障がい者は、努力して自分で何でもできるようになりなさい、と求められてきました。でも、どんなに努力してもできるようにならない人は、どうしたらいいのだろう。そう思っていたある時、自分がしてほしいことを誰かに頼むことができる、頼む人を見つけることができることが、自立ということなのだと聞いて、はっとしました。自分で何でもできるようになることが自立じゃない。他人の力を借りて、自分らしい生き方を自分で選ぶことが自立なんだと」

障害者自立支援法ができたことによって、この自立の理念がずれてきていることを、市江さんは問題点として指摘しています。
「障害者自立支援法では、私たちの生活に必要不可欠な福祉サービスを“益”だとして、すべての障がい者に応益負担を求めています。でも、生きるために必要な手助けは、“益”なのでしょうか。どんなに努力しても、他人の力を借りなければならない重度の障がい者のことを、本当に考えて作った制度なのでしょうか」

また、介護保険との統合を視野に入れて成立させたという背景のためか、障害者自立支援法では全国一律のチェックシートによる「障害程度区分」と「認定審査会」で、どのくらいのサービスが使えるか「支給上限」を決定することになっていますが、住んでいる市町村によって、同じような障がいを持っていても違いが生じているのだとか。
「私の知人でも、同じような障がいを持っていても、368時間と70時間の支給決定の障がい者がいるのが実態です」と、市江さんは話します。

もう1つ、大きな問題として指摘しているのが、報酬単価の問題です。
サービス提供を行う事業者への報酬が、障害者自立支援法で大きく下がってしまったために、ヘルパーの給料が下がり、スタッフがやめたり、廃止する事業者が出ているというのです。
市江さんは、
「特に重い障がいを持った人を支えるはずの、重度訪問介護の単価が大きく減少し、短時間のサービス提供では採算が合わないと、どの事業所も契約しようとしなくなっています。どれだけのサービスが提供されるか、私たちは身体介護の支給決定の時間数に一番関心を持っていましたが、せっかく300時間と決まっても、契約してくれる事業者がいなければ、サービスは受けられません。今、事業者がやっていけない報酬単価が、一番の問題だと考えています」
と話していました。

報酬(給料)が安いために、職員がやめてしまうというのは、今や介護の世界でも問題が表面化してきています。
特養ホームをまわって聞くのは、
「いくら求人を出しても、人がこない。このままでは、介護の仕事をする人がいなくなってしまう」
という現場からの悲痛な声です。

シンポジウムでは、
「報酬単価が安いのは、障がい者への蔑視から生じているのではないか」
と、日本障害者協議会常務理事の藤井克徳氏が指摘していましたが、
「役に立たない人間達に金を使うのはもったいないという思いもあるかもしれませんが、それよりも家事や身体介助をするヘルパーという仕事に対する評価が低すぎるのではないか」
という市江さんの指摘の方が、正解に近いような気がします。

高齢者の介護も、障がい者への手助けも、介護保険ができるまでは、家族が無償でやるものだとされていました。
市江さんが自立生活をするために、家を出た頃は、介護ヘルパーという仕事がまだ一般的ではなく、無償のボランティアの人たちの手で、生活を支えてもらっていたと言います。

介護の仕事は、家族が行っていた、アンペイドワーク(無償労働)だったから、報酬が安い(きちんと専門性が評価されていない)のだと思います。

障害者自立支援法の問題点はいくつもありますが、そこで提起される問題には、高齢者介護で見過ごされてきた人間の尊厳に関する大切な問題が含まれています。
高齢者の問題は、なかなか当事者が声を上げることは少ないのですが、障がいのある人たちは、命の問題として、仲間で力を合わせて政治にもの申しています。
「こんな制度はおかしい!」と、きちんと声を上げる姿勢は、学ぶところが多いものでした。

東郷町の障がい者施策についても、これから問題を検証して、当事者の方や家族と共に改善していきたいと、思いを新たにしました。

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障害者差別禁止条例ができた街

今日の夜7時から、教育テレビで放送された
「障害者差別をなくす条例作り」を、見た方いますか?

千葉県で、日本ではじめての、障害者差別をなくすための条例
「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」が制定されるまでが紹介されていた。

初の障害者の「差別禁止条例」ができるまでの経緯は、この条例を作るために市民公募でつくられた「障害者差別をなくすための研究会」座長を務めた、野沢和弘さん(毎日新聞社会部副部長)の著書『条例のある街 障害のある人もない人も暮らしやすい時代に』で読んで知っていたが、あらためて大変な作業だったのだなあと思った。

先月末、国連本部で、障害者への差別撤廃と社会参加の促進を求める人権条約「障害者の権利条約」に、高村外相が署名した。
これを受けて、全国自立生活センター協議会の人権委員会では、日本が条約を批准することや、日本の中での「差別禁止法」を作ること、地方ごとの「差別禁止条例」の制定を働きかけていくことが、これからの障害者運動の中心になっていくという方向性が示されている。

千葉県で「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」が成立したのは、2006年10月11日。
国よりも一歩進んだ姿勢で、はじめての「障害者差別をなくすための条例」が千葉で成立するのには、長い産みの苦しみがあった。

差別をなくす条例を具体的に決めるために、研究会は、まず差別事例を集めて検討することからスタート。800を超える事例を検討する作業は複雑で、なにより差別をされた当事者の委員が、「自分が苦しんできたことの理不尽さ」を訴える姿勢が強く、なかなか全体としてまとまるまでには時間がかかったようだ。

しかも、条例を作るまでの過程が通常と違ったこと(改革派の堂本暁子知事が主導して、当事者である障害者と家族をおもなメンバーとする研究会を立ち上げ、そこで作り上げた条例であること)で、せっかくできた条例が、議会で通らず継続審議となり、議会の修正案を受け入れなれば成立できないという状況においこまれたのだ。

議会でなぜ通らないのか。
『条例のある街』でそこの部分を読むと、なんとも歯がゆく、面子から(?)反対にまわった与党議員たちに、怒りを感じて、こちらの血圧まで上がりそうなのだが、とかく正論がそのまま通るわけではない議会という場の不思議に、どこの議会もそうなのだなあと嘆息してしまう。

議会で反対の中心になった部分をあげれば、
○「悪質な差別事例を公表する」と定めてある部分に対して、「制裁性が強すぎる。ほとんどすべての現場に無言の圧力になるのでは」という反対意見。
○「既存の人権擁護委員や民生委員が研究会の委員になっていない。一部の人の意見で作られた条例ではないのか」という意見
→これに対しては、「研究会委員は公募したが、残念ながら人権擁護委員や民生委員からの応募が一名もなかった」と行政側は答弁している。
○教育分野における「なくすべき差別」とされた「障害を理由として、本人又はその保護者が希望しない学校への入学を強いること」、「希望する学校に入学する条件として、親のつきそいを求めるなど、親に過大な負担を強いること」という部分に対する反対から、「子どもがどこの学校に入るかは、教育委員会が決めること」という今の仕組みに反するものだと、修正を求める意見
など

結局、2月議会で継続審議となり、修正案が9月議会で成立するまで、もめにもめた半年間だったようだ。

その間に、「障害者への差別禁止条例」への理解を市民に求めるため、各地で何度も条例についての勉強会が県内各地で開かれ、千葉県内の障害者や家族や事業者が、手をつないで条例成立にむけて、反対議員や会派に陳情。
議会は傍聴者であふれ、なんとか条例を成立させてほしいという市民の熱気に、「なにがなんでも反対」という議会のムードに変化が生まれた。

結局、反対する与党が出した修正案をほぼ呑む形で、修正された条例が可決され
はじめての「障害者への差別禁止条例」が誕生した。

本を読んで、心打たれた言葉がある。
議会で条例が通らず、このまま廃案になるのではという徒労感で、暗い表情でいた著者(野沢さん)に、研究会に参加した企業関係者のひとりだった野老真理子さんがかけた言葉。

「風がね、ずいぶん変わってきましたよ。1センチずつ確実に変わっている」

変わらないようにみえても、少しずつ、まちは変わっていく。
変えたいと望み、努力する人がいる限り。

私も落ち込んだときは、自分にこう言い聞かせて進み続けたいと思う。
「世界は1センチずつ変わる」 と。


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