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認知症の人には「笑顔(えがお)」を

毎日新聞社と(財)認知症予防財団など主催のシンポジウム「認知症にどう対応するか」が、広島と奈良で行われました。
このシンポジウムについて、毎日新聞のホームページに掲載されていた記事の中に、若年性認知症の家族からの発言が載っていました。

以下に、抜粋します。

----------------------(ここから引用です)-----------------------

広島会場・パネルディスカッション発言
 ◆若年性アルツハイマー病との闘い

◇「笑顔で一緒」支えに-
-社団法人認知症の人と家族の会広島県支部・松本恭子氏

今から8年前のことです。
私の夫は「若年性アルツハイマー病の疑いがある」と診断されました。
52歳の働き盛りでした。
当初は単なる物忘れ程度と軽く考え治療にもかからず、本人も医師の診断を嫌がっていたので、放ったらかしにしていました。

忘れもしません。
その4年前のお盆も過ぎた8月下旬、私が会社から呼び出され辞職勧告を受けたのです。
大手通信社に勤務していた夫の職場では、パスワードをいつも忘れる人、パソコンを開けない人、仕事を監視していないといけない人、といったレッテルを張られていたようです。

そのうち、買い物を頼んでも計算ができず、何を買うのかも忘れて店内をうろつく。
そんなことは近所にも知られたくないし、見られるのが嫌でした。
本人が一番つらかったと思います。
シャンプーの容器に「髪を洗うもの」と書いたり、家から出ると行き先を間違える。
「分からないこと」や「できないこと」をごまかし、隠そうとしていました。
夫が仕事を辞めて家でじっとしていることを隣の人にも隠し続けていました。

この時期、私の75歳になる母が夫の病気を知り、慌てふためいて電話をかけてきました。
「照道さんがこんな病気にかかってかわいそうだが、あんたもかわいそう。4年間もよう黙っていたね。まだ勤めているとばっかり思うとった。あんたが頑張らんといかん」と、涙声で励ましてくれました。

確定診断から2年後に認知症の権威である専門医と出会い、生き方が変わりました。
認知症は治る見通しがありません。
今できることを見つけて喜びを分かち合おうと思い立ち、私は「認知症の家族」との公表を決意しました。
症状が日々進行、毎日が真剣勝負でした。

それをきっかけに、みんなが見守ってくれ、近所の人は釣りや山登りにも誘ってくれるようになりました。
地域のつながりの大切さを学んだ瞬間です。

目の不自由な人には点字があります。
耳の聞こえない人には手話があります。
では皆さん、認知症の人には何が必要か分かりますか。
答えは「笑顔」です。

「心配ないよ」と笑顔でサポートすることが大切です。
認知症の人は笑顔を通し心と触れ合っているのです。

あいさつをする、話を聞いてあげる。
うなずいてあげる、時には新しい発見や感動があります。
食事をするのも、出かけるのも、特別なことではありません。
「何かを一緒にする」、そんなことが大きな支えになるのです。
夫が要介護4の今、この病気の理解を社会と教育現場に広めたいと考えています。

(※太字は山下がつけました)
------------------------(引用ここまでです)------------------

東郷町と三好町の2町合同で、認知症の理解をまちに広めるための講師役を育てる「認知症キャラバンメイト養成講座」がありました。
先日、その卒業生の有志で結成したのが、「認知症を地域で支える応援団〜えがお」です。

認知症の方と接する時に、一番大切なのは「えがお」。
えがおが町中にあふれ、認知症になってもえがおで暮らせる。
そんなまちにしていきたいという思いから、会の名前を「えがお」としました。

えがおを通じて、心と心が触れ合える。
そんな活動をしていきたいと思っています。

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