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死の尊厳より、まず生きるための支援を

終末期医療についての議論の中では、いつも「尊厳死」についての考えが出てきます。
でも………。
尊厳ある死を迎えるためには、尊厳ある生を送ることが問われるはず。

いま、この国で、病気などで重い障がいをおった場合、尊厳ある生は保障されているのでしょうか。
「尊厳ある」どころか、生きる支援すら得られない現実があるのではないでしょうか。

そんなことを考えさせられる新聞記事を、以下に転載します。

-----------------------(ここから引用です)---------------------
あの人に迫る
 橋本 操 (日本ALS協会副会長)

死の尊厳よりも まず生きること
人工呼吸器を着けた車いすで、霞ヶ関からデンマークまで…。
全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)のイメージを打ち破る行動力で、日本ALS協会副会長の橋本操さん(56)は患者や家族を励まし、政治家や官僚と渡り合ってきた。
最重度の難病と言われるALSでも生きやすい社会を実現するために。

症状が現れたのはいつですか。
32歳のころ、最初、右手にまひを感じ腱鞘炎(けんしょうえん)と思った。
次第に肩や足が動かなくなり、発声や飲み込みが困難に。
7年後、呼吸器障害に至ったので、気管を切開し人工呼吸器を付けました。

会話はヘルパーに五十音を読み上げてもらい、拾いたい文字のところでまばたきして、文章を作ります。
食事は野菜ジュースや液体状の栄養補助食品などを鼻から管で取ります。
無表情と思うかもしれませんが、顔の筋肉があまり動かないだけ。
飢餓にほほ笑みかけてくださいね。

告知をどう受けとめられましたか。
現在の私があるのは当時の主治医、佐藤猛先生(国立精神・神経センター国府台病院名誉院長)と、日本ALS協会初代事務局長の松岡幸雄さんのおかげ。
当時、私はALSの苦しさより、一人娘の世話ができなくなることが怖かった。
それを感じ取った佐藤先生は、「いま一番の薬はお嬢ちゃんだよ」と。
私の置かれた状況をよく分かっていてくれた。
松岡さんは「大丈夫ですよ。橋本さんなら大丈夫」と呪文のように繰り返し励ましてくれました。

でも聞くと、ほかのALS患者への告知は暗いことが多い。
ゆっくりと、親切に、少しでも楽に生きられるような告知をしてほしいです。

人工呼吸器を装着して自宅で、しかも家族と離れて暮らすのは大変ではないですか。
人工呼吸器はめがねのようなもの。
集中治療室に運び込まれた救急患者と違って、生活するために必要だから使っているだけです。
発症した時、娘は5歳、夫は深夜まで働いていました。
だから家族に頼らずに他人介護で自宅で暮らせる道を探したのです。
人工呼吸器を付けるまでは実家のきょうだいに手伝ってもらいました。

既存の制度では足りない介護の人手は、学生バイトを募ることで埋めた。
さらに、一人前のヘルパーに育て上げた学生らを、自分が運営する訪問介護事業所から、ほかの患者に派遣することで収入を得る方法を考案しました。
収入があれば、自立できます。
現在は訪問介護、訪問診療、介護人派遣制度などを組み合わせ、夜勤は学生10人前後で回します。
24時間、常に介護者が私の身の回りにいます。

うまくいっているのは、私に主婦意識が欠けているからかも。
冷蔵庫や財布の中を誰にのぞかれても平気。
人の出入りを気にしない。
声が出ないから口論は不利でも介護者を介して必ず言いたいことを言っています。
車いすで近所のスーパーやデパートにも買い物に行く。
愛犬のポンを連れて。
忙しくて、大好きなSMAPや、さだまさしのコンサートになかなか行けないのが悔しいですが。

患者を精力的に訪問しておられますね。
約15年前から全国の患者を訪ねています。
患者はほかの患者と会いたいものだけど、地方では患者が移動できる社会環境が整備されていないので。
しかし、私のように気ままな患者の、なんと少ないことか。
家庭に帰れば家族が待っているのに、ひとり病室の白い壁や天井を見つめて過ごしている人は少なくありません。

ご自身のホームページの題に「闘えALS」とあるように常に闘ってこられました。
あれは「患者よ、闘え」というアジテーションなんです。

2002年、医療行為として医療職や患者の家族にしか認められていなかった、たん吸引をヘルパーも行えるよう署名運動を始めた。
たんの吸引は単純な作業だけど、多い時は数分おきに行う必要がある。
だから家族が夜も寝る間もなく、吸引していました。
全国から17万人の署名が届きました。
「家族が休めない。何とかして」といった悲鳴のようなメッセージも添えて。
すべてに目を通してから国と交渉し、ようやく2003年に認められました。

尊厳死反対の論陣も張っておられます。
死の尊厳さは重要ではない。
生きている者の人権を守ることが肝要です。
人工呼吸器を付ければ生きられるのに、付けたくても付けられない患者は多い。
ALS患者の7割以上は呼吸器を付けずに亡くなる。
特に女性。
家族から「生きるな」と暗に言われ、子や夫に迷惑をかけるまいと呼吸器を付けずに死んでいく。
自立する知識も機会も与えられずに。
「死ぬ権利」を言う前に、生きたくても生きられない患者の生きる権利をなんとかしよう、と言いたいです。
そうでなくても、呼吸器は外れやすいんです。
時々、事故で呼吸器が外れて患者が亡くなる。
その無念や苦しさを思うと…。
私もよく外れますが、2分もたたずに顔は真っ赤、心臓はばくばくです。

厳しい状況でも常に明るさとユーモアをお持ちです。
生家は漁をなりわいとしています。
昨年2月にイージス艦に沈められた漁船と同じ漁協で、兄たちはあの事件に近いことはよくあると言う。
海辺に生きていると、水死体が漂着したり、漁に出たまま帰らないこともあるから、死は日常のこと。
私も主治医と食事しながら終末期の話をします。

お寺が好きです。
樹齢千年の桜を、平成の時代に、車いすに人工呼吸器を積んだ私が眺めるロマン。
何代もの人が桜の下に集い、泣き笑い、時に病に倒れていったことに思いをはせると「この瞬間を生きよう」と思います。

最近、入院されました。活動のペースを落とした方がいいのでは。
9月に16年ぶりに入院。
すごく久しぶりというのが自慢です。
ウイルス性腸炎でしたが、飲んだコーヒーが濃すぎたんでしょ。
最近はすべて患者のため、という基準で行動している気がします。
在宅生活を送りやすくするために介護保険の自己負担の減免を求めていきたいし、在宅が難しい患者のために長期療養の病床をもっと確保したい。
課題はたくさんありますが、当事者が行動するしかない。
とりあえず死ぬまで走り続けることが私の使命です。

何より患者に泣かれるのが悲しい。
なんと言葉をかけたらいいものか。
「この瞬間はあなたのもの。必死に生きて」
そう伝えることにしていますが。
私は「今日が不幸でも、明日はたぶん幸せだぞ!」と思いこんでいます。

【あなたに伝えたい】
ALS患者の7割以上は呼吸器を付けずに亡くなる。特に女性。家族から「生きるな」と暗に言われ、子や夫に迷惑をかけるまいと呼吸器を付けずに死んでいく。

【インタビューを終えて】
「まあ飲んでよ」。橋本さんはいつも開口一番こう切り出した。インタビューは東京の自宅マンションで、4回にわたって夕飯時に行った。
大抵は、橋本さんのベッド脇の食卓で、遊びにきた友や仕事を終えた日勤の学生ヘルパーが鍋をつつき、ワイングラスを傾けていた。橋本さんもヘルパーの“通訳"を介して会話に入る。優しいほほ笑みからは想像も付かないブラックジョークを時折、飛ばしながら。
体がほとんど動かず、声が出なくても雑談を楽しむ姿は一見、感動的だが、これが橋本さんの日常なのだ。そして、すべてのALS患者が享受できるはずの光景でもある。

橋本 操(はしもと・みさお)
1953(昭和28)年千葉県生まれ。日本音楽学校幼稚園教諭養成科卒。1985年にALSを発症、93年には人工呼吸器を装着し在宅生活を始めた。99年にALS協会副会長、2003年から今年5月まで同会長。
04年、近隣の患者家族、看護師、ヘルパーらとNPO法人「ALS/MNDサポートセンターさくら会」を設立。障害者自立支援法の重度訪問介護従事者資格を取得できる研修会を開き、これまで約900人が修了。07年からNPO法人「在宅介護支援さくら会」理事長。00年、ALS/MND国際同盟会議(デンマーク)に呼吸器を付けた患者として初めて参加。06年、ALS/MND国際同盟人道賞。共編著に「生きる力ー神経難病ALS患者たちからのメッセージ」(岩波書店)
ホームページ/闘えALS

(中日新聞・夕刊 2009年11月27日)
----------------------------(引用ここまでです)-----------------------

人工呼吸器をつけなければ生きられない、ほとんど体が自分で動かせない状態で
車いすで買い物に行ったり、お花見に行ったり、
飛行機でデンマークまで飛んで、国際会議に出席して発言する。
橋本操さんの行動力は、わたしがALS患者や人工呼吸器について抱いていたイメージを打ち砕くものでした。

わたしはツイッターも行っているのですが、そこで出会った女性は、人工呼吸器をつけて、話もできるし、歌も歌うのだそうです。
なんでも、大学の時に声楽を専攻していたのだとか。
気管切開してスピーチカニューレを付けることで、話ができるようになったのですが、「話せるなら歌えるんじゃない?」と挑戦し、自分なりに歌えるようになったというメッセージをもらって、とても感動しました。

人工呼吸器を否定的にみるのではなく、医学の進歩による可能性の広がりと捉える視点を教えられたような気がしました。

その一方で、ALS患者の7割以上は、介護する家族の迷惑になりたくないと、人工呼吸器を付けずに亡くなっている現実があります。

介護保険や、障がい者自立支援法を使っての支援だけでは、家族の手をいっさい使わない「他人介護」での在宅生活はできません。
橋本操さんは、他人介護による在宅生活を可能にするために、学生ボランティアを育てて、介護者として支援してもらっています。
重度訪問介護は、24時間の在宅介護を行うためには欠かせないサービスですが、サービスが存在しない市町村も多く、しかたなく家族が一手に介護を引き受けているというのが現状です。

生きたいと望めば、だれもが人工呼吸器を付けて生きられる支援ができるようにするのが、基礎自治体の役割のはず。
生きるための支援を最優先課題にしなければと、強く思いました。

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コメント

記事をまとめた者です。先日は、胃ろうのエントリでもコメントしました。
取り上げてくださり、ありがとうございます。

橋本さんのように明るく、たくましくいられる患者さんばかりではなく、
支援体制の脆弱さに、家族をおもんばかるあまりに、
心が折れてしまう患者さんもいます。
むしろ、そちらの方が多いと思います。

>生きたいと望めば、だれもが人工呼吸器を付けて生きられる支援ができる>ようにするのが、基礎自治体の役割のはず。
>生きるための支援を最優先課題にしなければと、強く思いました。

本当にそう思います。心強いです。
私も私の現場でやれることをやっていきたいと思います。

投稿: いとう | 2009年12月29日 (火) 11時17分

いとうさま

記事を書いた記者の方からコメントをいただき、たいへん感激しています。

橋本さんの生き方は、ひとつの可能性を指し示す、非常に貴重なものだと感じます。
だれもが、力まず、人工呼吸器を付けて生きるという選択ができるよう、支援体制を整えていく必要がありますね。

できることから、少しずつ。
あきらめずに行動していこうと思います。

投稿: 山下りつこ | 2010年1月 5日 (火) 13時23分

障害者施設に息子が通所して4年になります。利用者と家族の集まりの場所で、介護士が利用者をからかっていて、利用者が泣いていた。介護士は悪気が まるでないようだったが、正直唖然としてしまった。

投稿: 泉 | 2012年4月 4日 (水) 14時34分

障害者への専門知識のない人が、利用者の症状を悪化させている場合があります。障害者を蔑視している人が介護職に就いているのは問題だと思う。極度の恐怖症の利用者を嫌い、家族に露骨に文句を言う医師が嘱託医なのも不安です。障害者の命の尊厳を、ぞんざいにしないように願う。施設の数が少ないため、利用者には選択肢がないのが現状です。虐待が明るみに出にくいのも障害者施設の特徴だと思います

投稿: 泉 | 2012年4月 4日 (水) 15時04分

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